2010年3月21日日曜日

月ヶ瀬観梅



京都にお住まいで、笙の楽器を作成しておられる當野泰伸氏のお誘いをいただき、春の祈願の意味を込めて、奈良月ヶ瀬の観梅に行ってまいりました。ここは、1922年、当時の内務省により、奈良公園、兼六園とともに「月瀬梅林」として日本国が指定する初めての名勝に指定された場所だそうです。
1331年(元弘元年)後醍醐天皇が難を逃れて笠置山に身を寄せられた折、女官の一部が月ヶ瀬方面へ逃げ、その1人姫若が園生(そのち)の森で倒れていたところを村人に助けられ、「真福寺」に近い「姫若塚」付近に住まわせてもらい滞留しました。姫は村人に感謝し、ここに梅の木を植え、その熟れた梅を用いて口紅を作る技(わざ)を村人に教え、また青梅を乾かして燻製(くんせい)にした墨梅(すみうめ)つまり烏梅(うばい、紅染めの媒染剤、薬料)を作り、京都へ卸すようになり、1640年代(正保年間)村が梅の里になりました。最盛期では10万本以上の梅の木が咲き誇っていたようですが、現在では約1万3千本の梅が残っているようです。



字のごとく薫り立つように可憐に咲き誇る梅の花たち



「真福寺」の境内に佇む「姫若の梅」。樹齢700年になっても、いまだに美しい花を咲かせています。

地元の方のお話によると、ちょうどこの日は、曇り続きの天候からようやく晴れ間が広がった日。かたく閉じた蕾が一気に咲きはじめたという、観梅には最高の日だったようです。



春の代名詞、つくしくんも、元気にお目見えしていました!


ご一緒させていただいた當野様は、本業の傍ら、象牙や黒檀、そして114本の笙を作成されたり、癌や病気の方をも回復させる乳酸菌の研究をされていたりと、とても幅広くご活躍されておられる方で、観梅の道中非常に興味深いお話をお聞かせいただきました。

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